8.修行者たちの静修
霧は遠くの寺院の屋根をやわらかく包み込み、打ち鳴らされた鐘の余韻さえ、その白の奥へと溶けていった。
私は、その静けさの中にいた。
朝の祈りを終えた修行僧の所作には、自然そのものの流れが宿っていた。
人が動いているというより、風がかたちを得て地を掃いているように見える。
少し離れた丘の上には、行者が座していた。
彼の呼吸は深く、長く、揺るぎなく、霧のゆるやかな流動と重なっている。
目に見えぬ律動が、内と外の境をほどいていた。
僧の沈黙。
ヨーギーの呼吸。
異なる道を歩む者が、同じ中心へと還ってゆく。
その光景のただ中に立ちながら、ふと気づく。
霊性とは、形でも、方法でもないのかもしれない。
それは、沈黙の深さ――透明さとして現れるものなのだと。
祈りの声も、マントラも、呼吸も、
やがてはすべて霧に吸い込まれ、ひとつの「音なき響き」へと還る。
その響きの中で、胸の奥に、ごく微かな震えが起こる。
それは私の呼吸ではなく、もっと大きな何かの息づかいが、ただ通っていた。
ふと、霧がほどける。
遠くに、カンチェンジュンガの峰が姿を現した。
その光は、到達の印ではなかった。
むしろ、まだ見ぬ深みへと呼びかける、沈黙の招きのように感じられる。
引かれるようにその姿を見つめていた。
まだ触れたことのないものを、すでに知っているかのように。
静かに手を合わせる。
掌の内に、僧の沈黙と、ヨーギーの呼吸が重なり合い、
ひとつの、形なき光となって宿る。
その光は、言葉を持たず、しかし確かに語っていた。
すべての道は、すでに出会っているのだと。


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