~ 聖地バラナシにて ~

18. 伝説の巨星と向きあう

 生と死の煙がゆらめくガートの片隅に、

ひとりの聖者が静かに坐っていた。

言葉を超え、時を超え、

まるで大地そのものが人の姿をとったかのような存在。

百年の風雨をその肌に刻み、

衣をまとわぬその姿は、

神話の中から現れた古き神を思わせた。

ガンジスの流れに身を任せ、

時には、泥を手にして人々へ投げかける。

善悪も常識も超えたところで、

ただ悠然と生きる沈黙の人。

私はその前に座った。

周囲の喧騒は遠い潮騒のように消え、

深い湖の底を思わせる眼差しだけが残った。

その瞳は、

言葉では届かない場所まで見透かしているようだった。

やがて、声なき問いが胸の奥に響いた。

――何を求めてここまで来たのか。

――奇跡か。超人的な能力か。

――それとも、思考さえ消え去る深いしじまか。

その瞬間、

大きな波が押し寄せるように、

圧倒的な霊的な静けさが意識を包み込む。

心はほどけ、世界は遠ざかる、

深い瞑想の闇へと誘われていく。

魂のどこかで、小さな炎が燃えていた。

「いや、違う。」

静かな、揺るぎない声。

私はその誘惑を振り払った。

なぜなら、私が求めていたものは、

沈黙そのものではなかったからだ。

かつて科学を学び、論理を愛し、

真理を追い求めてきた探究心が、

再び胸の中で目を覚ます。

心は叫んでいた。

「知りたい。神とは、世界とは。

そして、この“私”とはいったい何者なのか。

その真理を、曖昧な神秘ではなく、

明晰な智慧と言葉によって理解したい。」

その想いが届いたのだろうか。

聖者の口元に、

ふと微かな笑みが浮かんだ。

大きな手が、

そっと私の頭に触れる。

言葉はない。

けれど確かに伝わってきた。

行きなさい。

お前の道は、さらに先にある。

風が吹き抜けた。

祝福のようでもあり、

見送りのようでもあった。

立ち上がったとき、

胸に迷いはなかった。

奇跡を追い求める旅は、

静かに終わりを迎えたのだ。

求めるのは、

究極の智慧――ヴェーダーンタ。

若き求道者は北へ向かう。

ヒマラヤの麓

聖なるガンジスが山々から流れ出る町、

リシケシへ。

そこには、渇きを癒す泉のような智慧とともに、

運命の師が、私を静かに待っていた。


【 伝説の巨星 】 トライランガ・スワミ(Trailanga Swami 1607-1887)

 インドで「歩くシヴァ神」と称えられた伝説的なヒンドゥー教のヨギ(ヨーガ行者)であり、聖者。ヨーガの名著『あるヨギの自叙伝』(パラマハンサ・ヨガナンダ著)の第31章にも登場し、ラヒリ・マハサヤとも親交がありました。驚異的な長寿伝説や数々の超自然的な逸話(シッディ)で知られています。

・ 驚異的な長寿 : 1607年に生まれ1887年に亡くなるまで280年間生きたとされ、300年以上生きたと主張する文献も存在します。

・ 超人的な能力(シッディ) : 毒や灰を飲んでも影響を受けなかったり、水中に数日間留まり続けたりと、数々の奇跡的な逸話が残されています。

・ 無の境地 : 常に衣服を身につけず(裸行)、他者からの評価や所有物にまったく執着しない「アヴァドゥータ(解脱者)」として振る舞いました。

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