2.高い壁に囲まれた庭園と、四人目の男の選択
今日のお話は、昨日予告した「高い壁に囲まれた庭園」の譬え(たとえ)です。
◇
ある場所に、高い壁で囲まれた庭園がありました。
外にいる人々には、その中がどのような場所なのかまったく分かりません。
ある時、四人の男が梯子(はしご)を使って壁を登り、中を見てみようとしました。
最初の男が壁の上に到達し、中を覗き込んだ瞬間――
「ハッハッハ!」
と歓喜の声を上げ、そのまま庭園の中へ飛び込んでしまいました。
二番目の男も同じでした。壁の上から中を見るや否や、大笑いしながら飛び込みました。
三番目の男もまた、その後に続きました。
そして最後に、四番目の男が壁の上へ登りました。
そこには、木々が生い茂り、美しい花が咲き、甘い果実が実る広大な庭園が広がっていました。その光景は言葉では表せないほど美しく、彼もまた飛び降りて、その歓喜に浸りたいという強い衝動に駆られました。
しかし、彼はその誘惑に耐えました。
そして梯子を降り、外で待っている人々のもとへ戻ると、こう告げたのです。
「皆さん、向こうには素晴らしい世界があります。ぜひ登って確かめてください」
と、その朗報を伝えたのでした。
◇
ブラフマン(宇宙の根本原理)は、この壁に囲まれた庭園のようなものです。
ひとたびその実在を垣間見た者は、自我を忘れ、恍惚の歓喜の中に没入します。そして究極の自由である「モークシャ(解脱)」へと向かっていきます。
- 最初の三人の男:そのような聖者や解脱者を表しています。
- 四番目の男:人類の救世主(アヴァターラ)を象徴しています。
救世主たちは、神を悟るだけで満足しません。その神聖な体験を他者と分かち合いたいと願います。自らは解脱の歓喜を味わうことができるにもかかわらず、人々を導くために再びこの世へ戻ってくるのです。
彼らは苦悩する人々を真理へ導くため、自ら進んで輪廻の世界に留まることを選びます。
◇
この話を読んで、皆さんはどう感じられたでしょうか。
最初の三人と、四番目の男。その違いは何なのでしょう。
「最後の人はあまりにも偉大すぎて、自分とは関係のない遠い存在だ」そう感じる方もいるかもしれません。
しかし、ラーマクリシュナがこの譬えで語ろうとしているのは、実は私たち自身の意識のあり方ではないでしょうか。
壁の外にいるとき、私たちは世界を「自分」と「自分以外」に分かれたものとして見ています。
ところが、日々の修行という梯子を一段ずつ登り、宇宙の本源であるブラフマンという庭園を垣間見たとき、その見え方は根本から変わります。
庭園の果実を味わうとは、単なる至福を経験することではありません。
それは、「他者の中に自分自身を見る」という、新しい眼差しを得ることでもあるのです。
ラーマクリシュナや、スワミ・ヴィヴェーカーナンダたちが人々のために生涯を捧げたのも、他者を「自分自身と切り離された存在」として見ていなかったからでしょう。
もし私たちも、自らの内にある「庭園」、すなわち真理の光を少しでも意識することができたなら、世界は分離の世界から聖域へと姿を変えるかもしれません。
それこそが、この譬えが私たちに語りかけているメッセージなのではないでしょうか。
【エピソード:ダクシネーシュワルの庭園】
若き日のアベダーナンダ(カリ・プラサード)は、師との劇的な最初の邂逅ののち、あらゆる機会を捉えてはダクシネーシュワルへ通い続けました。俗世の義務に縛られた家の息苦しい雰囲気から抜け出し、師の足もとに座り、その口から溢れ出る霊的な智慧の泉――すなわち甘露のごとき言葉を、心ゆくまで飲み続けたのでした。
ハッシュタグ:
#ラーマクリシュナ #アベダーナンダ #インド哲学 #ヴェーダーンタ #解脱 #ブラフマン #スピリチュアル #今日の寓話


コメント