20.心の故郷 Home of the Heart
スワミ・アベダーナンダ編の『ラーマクリシュナの言葉』寓話篇より、全52話の和訳と簡単な解説をご紹介してきた第二幕「ガンジス河の漣」は、この第20話をもって、ひとまず一区切りとしたいと思います。
本来、前回の第19話は第521話に当たりますので、このあとには第522話、第523話が続きます。けれども今回は、その二話はいったん措いて、第524話「主人とメイド」を、結びの寓話としてご紹介します。
メイド(The maid-servant、家政婦)は主人(Her master、雇い主)の家のことを「ここが私どもの家です」と言います。
けれども、彼女はその家が自分の家ではなく、自分のほんとうの家は遠く離れたブルドワンかナディアの村にあることを知っています。
心はいつもその故郷の村に向いています。
また、腕に抱いている主人の子について、「うちのハリ(その子の名前)はずいぶんいたずらっ子になりました」とか、「うちのハリはあれこれを食べるのが好きです」などと言います。
しかし、それでも彼女は、ハリが自分の子ではないことを十分に弁えています。
ラーマクリシュナは、人々に、こう言います。
このメイドのように執着をなくして、この世にありながら、この世のものとはならず、しかも心は神に向けているように、と教えるのです。
その神こそ、私たちがそこから来た天の故郷です。
そして、人々に神への信愛(バクティ)を捧げるよう勧めます、と。
前回のトビとカラスの話では、離欲、執着を手放すことの大切さが語られました。
そして、ここでラーマクリシュナが教えるのは、この世に生きながら、心のよりどころを忘れずにいるということなのでしょう。
ここまでの譬えを振り返ると、その流れは美しくつながって見えてきますね。
猟師と釣り人は、心を一点に集める集中をしていて、サギは、その集中が自然な静慮へと深まる姿を表していました。
トビは、執着を手放すことの大切さを教えていました。
そして、このメイドは、そのように整えられた心が、この世界の中でどう生きるべきかを示しているように見えます。
どれほど世俗の仕事や人間関係に追われようとも、心の最も奥にある『本当の故郷』、すなわち、神や師という心の拠り所を決して忘れてはならないということを。
魚を狙うサギのような集中を経て、トビのようにすべての執着を手放した、その先にある究極の境地とは、この喧騒の社会のただ中にあっても、心には静かなる故郷を抱きながら、凛として生きること。これこそが、ガンジス河の漣が私たちに囁きかける、最も優しく、最も実践的なドラマなのではないでしょうか。
(次の幕へ)
そして今、ひとりの若き巨星が、まさに「心の故郷」を胸に抱きながら、世俗の荒波へと旅立とうとしていました。スワミ・アベダーナンダ。
彼がどれほど遠い欧米の地で華々しく活動しようとも、その魂が片時も忘れなかったのは、生まれ、暮らした故郷の街でした。
そこはまた、数多の聖者たちが交差し、奇跡のような精神の夢を紡いだ聖なる街でもありました。
聖者の住む街、カルカッタ(現在のコルカタ)の夢。
その光あふれる記憶の扉が、いよいよ次の幕で開かれます。
(第二部「ガンジス河の漣」・完)


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