第13話 ~ 世俗を生きるグリハスタ(家住者) ~

13. 男と妻との対話
 家庭を持ちながら道を求める人、すなわち、グリハスタの中には、家庭の中にあっても、心を縛られずに生きることができ、そのため世俗に染まることはない、と主張する人がいました。しかし、(ラーマクリシュナは)このような主張に疑問を促すため、次の譬え話を語られました。

    ある貧しいバラモンが、一人の男のもとへ施しを求めてやって来ました。
    バラモンが喜捨を乞うと、その男は言いました。
    「私はお金には一切触れないことにしているのです。どうして私のところへ来たのですか。」
    それでもバラモンは立ち去ろうとせず、何度も頼みました。
    やがて男は折れて、こう言いました。

    「それでは明日また来なさい。何かしてあげられるか考えてみましょう。」
    そう言うと男は家の中へ入り、家事を切り盛りしている妻に話しました。
    「貧しいバラモンが施しを求めて来たのだ。私は一ルピーほど与えたいと思うのだが。」
    すると妻は驚いて言いました。

    「一ルピーですって。そんな大金を簡単にあげられるものですか。」
    男は言いました。
    「だが、あの人は本当に困っているのだ。せめて一ルピーは必要だろう。」
    しかし妻は首を横に振って答えました。
    「うちには、そんな余裕はありませんよ。もしあげたいのなら、二アンナほどの価値しかないこの端切れをあげなさい。」
    男はそれ以上何も言えませんでした。
    翌日、バラモンがやって来ると、男は結局、その二アンナほどの端切れを渡しただけでした。

    家庭を持ちながら道を求め、それに心を縛られずに生きることができ、世俗に染まることはない、と言いながら、実際には妻には頭が上がらない人間であり、妻の言いなりになっているに過ぎない。その意味で、彼らは人間として情けない見本なのである。


    最後は「情けない見本」とまで言われてしまいました。

    しかし、この話は単に妻に頭の上がらない夫を笑っているだけではないでしょう。

    この譬え話は、「自分は世俗に染まっていない」と言いながら、実際には家庭の中で心が自由ではない人の姿を示していますね。
    家庭を持ちながら道を求めるグリハスタにとって、家庭はもっとも身近な修行の場です。家庭の中には、自分の執着や欲望や恐れ、エゴが、そのまま映し出されます。
    もし本当に世俗を超えたいのであれば、まず自分自身の心を見つめなければなりません。
    ラーマクリシュナはこの譬え話を通して、「私は執着していない」などと口で言うことよりも、自らを真剣に見つめることの大切さを教えているのではないでしょうか。


    【 用語説明 】 グリハスタ(家庭人・家住者)とは
     インドでは、生涯に通過する四つの段階、四住期(学生期・家住期・林住期・遊行期)の第二段階を「家住期」と呼びます。
    「家(gṛha)」に「住まう者(stha)」という意味で、結婚して家庭を持ち、一家の主(あるじ)として生活する時期を指します。
    職業に就いて富を得て家庭を支え、子孫をもうけ、社会的義務や地域への貢献を果たすことが求められる、人生の中でも重要な段階とされています。

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