第2回 帝都カルカッタの誕生

 ― 湿地の村々が、「 インドの首都 」になるまで
 十九世紀後半、カルカッタは英国領インド帝国の首都として、インド亜大陸の政治・経済・文化の中心に位置していました。
しかし、その起こりはきわめて素朴で、ガンジス川下流の湿地帯に点在していたベンガルの村々から始まったのでした。

1.フーグリー川とデルタの地形
― 都市を呼び寄せた 「 水の力 」
カルカッタが巨大都市へと変貌した最大の理由は、フーグリー川の存在にあります。
ガンジス川下流のデルタ地帯は、無数の水路が入り組む複雑な土地ですが、その中でフーグリー川はベンガル湾からカルカッタへ至る水上交通の要路となり、潮汐の作用や航路整備によって海船の航行を可能にしました。

この点が、のちの歴史を大きく動かしていきます。
・ 17世紀、イギリス東インド会社はフーグリー川沿いに交易拠点を築きました。
・ フランスやオランダも同じ地域に進出し、ベンガルは欧州列強の競合の場となりました。
・ 交易の拡大と港湾機能の充実によって、周辺の村々はしだいに都市へと組み込まれていきました。

つまり、 地形そのものが都市を呼び寄せた、と言ってよいでしょう。
そしてこのフーグリー川は、のちにラーマクリシュナが祈りを捧げ、アベダーナンダが若き日を過ごした、聖なる水辺でもありました。

2.英国領インド帝国の首都へ
 ― 欧州列強の争奪戦が生んだ「 帝都カルカッタ Imperial-Calcutta 」
十八世紀、ベンガル地方は インドで最も豊かな地域のひとつでした。
綿織物、絹、インディゴ(藍)、香辛料、米などの交易品を求めて、イギリス・フランス・オランダなどのヨーロッパ諸国が競い合い、やがてプラッシーの戦い(1757)を経てイギリスがベンガル支配を決定的なものにしていきます。
その後、1772年にカルカッタへ重要な官庁が移されて英国領インドの行政中心、首都となり、19世紀に港湾都市としての急成長に加え、鉄道網が整備され、蒸気船が行き交う国際都市へ発展していきました。
この時代、カルカッタは単なる行政都市ではなく、知の中心地でもありました。ベンガル・ルネサンスを担う知識人たちが集い、近代インド思想の揺籃の地となっていったのです。
ラーマクリシュナやアベダーナンダが生きた十九世紀後半は、まさにこの「 帝都カルカッタ 」が大きな活気を帯びていた時代にあたります。
蒸気機関車の汽笛、馬車の車輪の響き、商人の声、官庁、英国官吏の影や新聞社の喧騒――そのすぐ傍らには、祈りを捧げる修行者やサドゥーたちの姿がありました。

近代化の喧騒と、祈りの静寂が同居する街。それが、聖者たちが呼吸していたカルカッタの姿だったのです。

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