~ 北インド遍歴 ~

15.飢えと寒さの中で

 歩き続けて、すでに一月が流れていた。

僧院を後にして、私はただ、

遥かなる北の霊峰を目指して歩みを進めていた。

その道は進むほどに険しさを増し、

自然は次第にその牙を剥き始めていた。

ガンジスの源流へと続く険路は、

山を回り込み、深い谷を越え、そして再び険しい峰へと登っていく。

気づけば、肌を刺す空気が、にわかに冷たさを帯びていた。

朝を迎えれば、白い霜が地面を覆って凍てつき、厳かに輝く。

夜になれば、天空の星々が、

まるで氷の結晶のように冷たく瞬いていた。

聖地への歩み、托鉢の旅路は、決して恵まれたものではなかった。

ある村では、一人の老婦人が慈悲深く、温かい食事を恵んでくれた。

また、ある村では、何ひとつ得るものもなく、立ち去ることもあった。

その日一日、ただの一粒も口にできぬまま、

日が暮れていくことも珍しくはなかった。

飢えは、容赦なく私の肉体を苛(さいな)んだ。

腹の底から這い上がってくる、鈍く、重い痛み。

頭は眩暈(めまい)に揺れ、足の運びは鉛のように重くなる。

けれど、私は歩みを止めなかった。

「ただ歩くこと、それだけが私の道なのだ」

その冷徹な事実が、日を追うごとに、

私の魂の奥底へと深く刻み込まれていった。

寒さの苦しみもまた、飢えと同様であった。

夜になれば、

川辺の吹きさらしの岩陰に身を寄せ、

凍える身体で眠りについた。

火を焚いて暖を取ることも、許されぬことではなかった。

しかし、すべてを捨てて歩む托鉢遊行の修行者にとって、

暖を誘う火など不要のものであった。

「火は、執着を生む。暖かさは、安らぎを生む。

そして安らぎは、歩みを止める」

偉大なる師の遺したその言葉が、

ふと、凍てつく闇の中で心によみがえった。

私はただ、川辺の岩陰に身を潜め、

頼りない腰布一枚を固く身にまとって横たわった。

容赦ない夜気が私の肉体を冷徹に浸食していく。

不思議なことに、

私の心はどこまでも静かで、あたたかかった。

「寒さは、身体を冷やす。しかし、

心まで冷やすことはできないのだ」

極限の寒さの中で、私はその真理を肌で悟った。

孤独は、この旅の中で最も深く、色濃くなっていた。

村々での人々との出会いは、

振り返ればほんの束の間の出来事にすぎない。

だが、立ち止まるわけにはいかないのだ。

同じ場所に留まることは、

すべてを捨てた托鉢遊行の修行者には決して許されない。

「私は、ただ歩き続ける」

その厳然たる事実が、私の意識を外の世界から引き離し、

次第に、果てのない内なる精神の奥底へと向かわせるのだった。

ある夜、

私は山肌にぽっかりと口を開けた、名もなき洞窟に身を寄せた。

洞窟の奥は湿り、ひんやりとした冷気が満ちていた。

吹きさらしの風を直接肌に受けずに済む分だけ、

夜露に濡れる川辺に比べれば、いくらか凌ぎやすかった。

暗がりに目を凝らすと、

岩肌の壁には、かつてこの地で命を懸けたであろう過去の求道者たちが刻み残した、

古いサンスクリットの文字が刻まれていた。

「Vairagya(離欲)」「Yoga(精神統一)」「Mukti(解脱)」

私はその爪跡を、愛おしむように指先でそっとなぞった。

「私もいつか、己の魂の歩みを、このような確かな印として

世界に刻みつけることができるのだろうか」

抑えきれない淡い問いが、胸の奥底から湧き上がってくるのを感じていた。

飢えと寒さ、そして逃れようのない絶対的な孤独の中で、

私はどこまでも剥き出しの自分自身と対峙していた。

「私は、なぜ歩いているのか」

「私は一体、何を求めて彷徨(さまよ)っているのか」

岩壁に投げかけたその問いは、静寂に消えるだけで、

確かな答えを返してはくれなかった。

答えのないその問いを繰り返し、己に突きつけること、

その営み自体が、私の頼りない魂を少しずつ、確かに鍛え上げていくのだった。

ある日、凍てつくように冷たい川の水を、

両手でそっと掬(すく)って口に含んだ。

水は冷徹に喉を刺し、身体の芯まで染み渡る。

それは、大自然が私に与えてくれた、

紛れもない「生きた水」であった。

「この水が、今、私を生かしている」

その厳かな事実が、私の心へ深く、鮮烈に刻み込まれた。

この北インドの果てしない遍歴こそが、

私の求道者としての、本当の始まりであったのだ。

飢えと寒さ、そして逃れようのない絶対的な孤独。

それらはすべて、大自然という偉大な存在が私にもたらした、

厳烈を極める魂の薫陶(くんとう)にほかならなかった。

「人として生きるために、必要なものは、ただこれだけなのだ」

パン一枚、水一杯、そして身をまとう腰布一枚。

それだけで、人は十分に生きていくことができる。

その揺るぎない確信が、私の魂の奥底に、一筋の光のように深く刻まれた。

一歩、また一歩と歩みを進めるうちに、

私の意識は外の世界の喧騒を完全に離れ、

いよいよ深く、果てのない内なる宇宙へと没入していくのだった。

外の世界は、どこまでも飢えと寒さ、

そして峻烈な孤独に満ちていた。

私の内の世界は、歩みを進めるほどに、静まり返っていった。

「真の沈黙とは、外の環境にあるのではない。私の内側にこそあるのだ」

その大いなる真理に、私は静かに目覚めていた。

聖なるガンジスの源流へと続く険路は、

なおも果てしなく、遥か彼方まで伸びている。

この先いかなる荒野を歩もうとも、

私はもはや、独りではなかった。

かつて私を苛んだはずの飢えと、寒さと、孤独。

それらが今や、目には見えぬ聖なる糧となって、

私の魂を内側から豊かに養い、満たしてくれていた。

私は杖を握り、水瓶を手に、再び前を向いて歩き始めた。

その足取りは、依然として続く飢えと寒さと孤独の中にあっても、

不思議なほどに軽く、そして大地を確かに踏みしめるものへと変わっていた。


【 大自然がもたらす薫陶:極限の遍歴修行 】

 19世紀後半、すべてを捨てて歩む遍歴修行者(パリヴラージャカParivrājaka)たちの前には、大自然の厳烈な現実が横たわっていました。

飢え、寒さ、孤独の背景には、彼らが自らに課した求道の真実がありました。

・ 飢えとの対峙(ビクシャー Bhikṣā): 托鉢だけを頼りとする彼らの旅は、何も得られぬ日も多く、一日中ただの一粒も口にできぬことは日常茶飯事でした。それは肉体を極限まで削ぎ落とし、神への絶対的な帰依を試される日々でもありました。

・ 寒さの克服(タパス Tapas): 「火は安らぎを生み、安らぎは歩みを止める」という師の教えの通り、彼らはあえて火に頼らず、凍てつく岩陰や洞窟で眠りました。肉体の寒苦を超えた先に、内なる精神のぬくもり(神性の目覚め)を見出すための過酷な「苦行・熱行(タパス)」だったのです。

・ 足るを知る心(サントーシャ Saṃtoṣa): パン一枚、水一杯、そして身をまとう腰布一枚。極限まで削ぎ落としたからこそ、一滴の川の水に「生かされている喜び」を見出す。これこそが、ヨーガの根本思想である「サントーシャ」の境地そのものでした。  

同じ場所に留まる「定住」を厳しく戒められた彼らにとって、人々との出会いはすべて束の間のもの。しかし、外の世界の峻烈な孤独と向き合うほどに、内の世界には裏返しの「大いなる沈黙」が満ちていく。過酷な旅のすべてが、彼らを内なる宇宙へと導く聖なる糧となっていたのです。

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