第8回 共鳴する世界

― アベダーナンダが歩いた北カルカッタ精神圏
1.照明の角度を変えると、別のアベダーナンダが現れる
 アベダーナンダは長いあいだ、「ラーマクリシュナの直弟子の一人」、「ヴィヴェーカーナンダの兄弟弟子」、「宗教の哲学と科学を語る欧米への布教伝道者」として語られてきた。

しかし、彼の自伝『My Life-Story』(わが人生物語、未邦訳)を丁寧に読み返すと、そこには、これまでの像とはまったく異なるもう一人のアベダーナンダ が立ち現れてくる。
彼は、一つの宗派に属する人物ではなかった。むしろ、複数の伝統が一つの魂の中で響き合う「受容体」 であった。

そしてその姿こそ、19世紀末の北カルカッタという都市が持っていた多元的で開放的な精神圏 を象徴している。 

2.北カルカッタ精神圏という「多元の場」
― 異なる道が互いに響き合っていた都市
1880年代の北カルカッタには、驚くほど多様な宗教・思想の潮流が同時に息づいていた。
アベダーナンダ(当時は、カリ・プラサード)は青年期、これらの潮流を「同時に」吸い込んでいた。

・ブラフモ・サマージ(近代的理性主義と一神教を掲げた改革運動)
・ヴァイシュナヴァ信仰(クリシュナへの愛を中心とするバクティの伝統)
・タントラ(身体と宇宙の力を扱う神秘主義の体系)
・クリヤ・ヨーガ(呼吸と内観を通じて心身を浄化する静寂の道)
・キリスト教宣教師の説教(人格主義・倫理・博愛を説く西洋近代の宗教思想)
・西洋哲学と近代思想(合理主義・自由思想・科学的精神の流入)
・愛国運動の胎動(ベンガルで芽生えた近代インドの自覚と独立の気運)

これらは互いに対立する思想ではなく、同じ都市空間の中で静かに共鳴し、呼吸していた。
宗派の境界線はまだ硬直しておらず、むしろ、異なる道が互いに響き合う「共鳴の場」
として存在していた。

師であるラーマクリシュナ自身が、ヒンドゥー、イスラム、キリスト教の道を自ら体験し、「多くの道がある」ことを身をもって示したように、北カルカッタの空気は、多元性そのものだった。

3.アベダーナンダという「精神世界の交差点」
― 彼の魂の中で響き合っていたもの
アベダーナンダは、単に思想を収集したのではなかった。この多元的な都市空間を、歩きながら、北カルカッタの精神的振動を全身で受け取っていた。
彼は、
・ケシャブ・チャンドラ・センの講演(理性と倫理の宗教)を聞き、
・キリスト教宣教師カリチャラン牧師の説教(人格主義と博愛)に耳を傾け、
・スレンドラナートの語るチャイタンニャのバクティ(神への愛の道)に涙し、
・マクドナルド博士の西洋哲学(合理精神)に刺激を受け、
・ラルモホン・ゴーシュの演説を聞き、愛国運動の胎動を肌で感じていた。

また、彼の歩いていた北カルカッタには、ラヒリ・マハサヤ(※)を中心とするクリヤ・ヨーガの潮流も静かに息づいていた。
彼は、複数の伝統が一つの魂の中で響き合う「精神世界の交差点」であった。

4.共鳴する世界へ
― アベダーナンダが見たものは、現代に必要な精神地図であった
1880年代の北カルカッタでは、誰も「こちらの流派か、あちらの流派か」とは言わなかった。
異なる道は互いに否定し合うものではなく、同じ空の下で響き合っていた。
その空気を吸い、その街を歩き、その時代を生きた青年がいた。
その人こそ、アベダーナンダである。

彼は一つの宗派の人ではなかった。
彼自身が、「共鳴する世界」そのものだった。
そして彼が歩いた北カルカッタ精神圏は、多元性、開放性、師弟愛、知的探究心、
異なるものへの敬意という、現代人が失いつつある価値を静かに、今に語りかけている。

さて、この「聖者の住む街、コルカタの夢」で描いてきたアベダーナンダの物語は、やがて大西洋を越え、世界規模の旅へと展開していきます。

次の第9回からは、その足跡をより鮮明にするため、彼が設立したラーマクリシュナ・ヴェーダーンタ・マト(僧院)の公式記録に記された「生涯と教え」を紐解いていくことにしましょう。北カルカッタで培われた精神が、いかにして異国の地へと運ばれていったのか。その生涯をシンプルに俯瞰することで、後の第四部へと続く「欧米での活動」への確かな橋頭堡を築いていければと思います。


【 脚注 】 ラヒリ・マハサヤとクリヤ・ヨーガ
※ ラヒリ・マハサヤ(Lahiri Mahasaya)
 近代インドを代表する伝説的なヨーガの聖者。本名はシャマ・チャラン・ラヒリ。
1861年、ヒマラヤの聖者マハ・アヴァター・ババジから秘法「クリヤ・ヨーガ」を伝授され、在俗のヨギとして生涯を過ごした。
 彼は、霊的な探求は社会生活を送りながらでも達成できることを証明し、多くの人々にヨーガの道を教授した。ヨーガの名著『あるヨギの自叙伝』の著者パラマハンサ・ヨガナンダの師、スワミ・スリ・ユクテスワ・ギリの師(パラムグル)にあたる。

※ クリヤ・ヨーガ(Kriya Yoga)
 呼吸法と瞑想を組み合わせ、心身を急速に進化させるための高度なヨーガの技法。「クリヤ」とはサンスクリット語で「行為・実践」を意味し、ラージャ・ヨーガ(王道のヨーガ)系統の道とされる。
 パタンジャリの聖典『ヨーガ・スートラ』にも記載された伝統的な技法であったが、長い間失われていたものをラヒリ・マハサヤが近代に蘇らせた。
 身体的なポーズ(アーサナ)を主とする現代のフィットネス的なヨーガとは異なり、特定の呼吸法によって体内のエネルギー(プラーナ)をコントロールし、中枢神経系を直接純化する科学的な瞑想技法とされる。
 意識を内側の静寂へと向かわせることで、短い時間で深い瞑想状態に到達することから、ヨガナンダはクリヤ・ヨーガの道を「神への高速道路」と表現している。

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