9.神に抱かれて生きるということ
まずは、訳文から見ていきましょう。
ある父親が二人の息子を連れて野原を歩いていました。
一人は父親の腕に抱かれて、もう一人は父親の手を握って歩いていた。
空に舞う凧を見て、父の手を離した息子は喜びのあまり手を叩き、
「お父さん、凧が飛んでるよ!」と叫んだ。
しかし、父の手を離したためにつまずき、怪我をしてしまった。
一方、父親の腕に抱かれていた息子も喜びのあまり手を叩いたが、転ぶことはなかった。
前者は霊的生活における自助を表し、後者は自己放棄を示している。
ここでのお話は、前者は精神的な生活における自力self-help を表し、後者は神への委ね(明け渡しself-surrender)を示しているようですね。
二人の息子が象徴するのは、精神的な修行における二つの道、日本でよく言われる自力、他力に似ています。
自力(ジニャーナJñānaの道)と他力(バクティBhaktiの道)
前者は、自分の意志と努力で悟りに至ろうとする。
だけど知識や努力だけでは「つまずく」危険がある。
後者は、神にすべてを委ね、抱かれるように生きる。
喜びの中でも、転ばない。なぜなら、支えがあるから。
もっとも、ラーマクリシュナがここで語ろうとしているのは、単純に「自力より他力の方が優れている」ということではないでしょう。
真の自己放棄とは、努力を捨てることではありませんね。努力の根を神に委ねること。
人は自分の足で歩いているように見えて、考え、判断し、行動しているようにも見えます。
しかし、その命を支え、導いている根源的な力は、自分自身のものではない。その事実に気がついたとき、人は初めて安心して歩くことができるのでしょう。
自分が神を握っているのではなく、神が自分を抱いている。
この寓話は、そのようなことを静かに語っているように思われます。


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