第10回 アベダーナンダの誕生

― 公式記録から読み解くアベダーナンダの生涯から

2 師との別れと新たな旅立ち
1)病床の師への献身(1885年のエピソード)
During the illness of Sri Ramakrishna in April 1885, Kaliprasad left his home and whole heartedly devoted himself to the service of his Guru, first at Shyampukur and then at Cossipore Garden-house near Calcutta.
1885年4月、シュリ・ラーマクリシュナが病に伏していた間、カリ・プラサードは実家を離れ、まずシャンパクールで、その後カルカッタ近郊のコッシプール庭園の家にて、師への奉仕に全身全霊を捧げました。

2)師から授かった「ゲルア(サフラン色の衣)」
Here he received from his spiritual master ‘gerua’ along with other spiritual brothers Naren (Swami Vivekananda),Rakhal (Swami Brahmananda), Baburam (Swami Premananda), Shashi (Swami Ramakrishnananda), Tarak (Swami Shivananda), Latu (Swami Adbhutaaanda), Niranjan (Swami Niranjanananda), Buro Gopal (Swami Advaitananda), Sarat (Swami Saradananda) and Yogin(Swami Yogananda).
そこで彼は、他の霊的兄弟たちと共に、師から「ゲルア」を授かった。(※1)
その場にいた弟子たちは以下の通りである。(※2)

・ナレン(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)
・ラカル(スワミ・ブラフマーナンダ)
・バブラム(スワミ・プレマーナンダ)
・シャシ(スワミ・ラーマクリシュナーナンダ)
・タラク(スワミ・シヴァーナンダ)
・ラトゥ(スワミ・アドブータナンダ)
・ニランジャン(スワミ・ニランジャナーナンダ)
・ブロ・ゴパル(スワミ・アドヴァイターナンダ)
・サラト(スワミ・サラダーナンダ)
・ヨギン(スワミ・ヨガーナンダ)

【 脚 注 】 
※1 「ゲルア(Gerua)」
ヒンドゥー教の出家者(サニヤーシン)が身にまとうサフラン色の衣。
師ラーマクリシュナは晩年(1886年)、形式にとらわれない出家儀式として、若い直弟子たちにこの布を授けた。
これは、彼らが正式な修道者としての生活へ入った歴史的瞬間を示している。

※2 直弟子は16人なのに、なぜ11人だけがゲルアを授かったのか
ラーマクリシュナの直弟子は16人だが、ゲルア授与の場にいたのは11人である。
理由は、以下の5名がその場に不在だったため。
・ ハリ(スワミ・トゥリヤーナンダ)
・ ガンガダール(スワミ・アカンダーナンダ)
・ サラダ・プラサンナ(スワミ・トリグナティターナンダ)
・ スボード(スワミ・スボーダーナンダ)
・ ハリプラサド(スワミ・ヴィグニャーナーナンダ)

背景として、ある熱心な在家信者が12枚のゲルア布と数珠を僧院に布施した。
ラーマクリシュナはその布を受け取り、その場にいた若い弟子11人を選んで手渡し、臨時の出家儀式を行った。
残った最後の1枚について、師は「これはギリシュ(ゴーシュ)のものだ」と言って取り置いたという逸話が伝わる。

3)僧院の誕生と「スワミ・アベダーナンダ」への改名
After passing away of his Master on August 16, 1886, Kaliprasad plunged into hard tapasya (austerity) at the newly formed Baranagore monastery.
1886年8月16日に師が他界すると、カリ・プラサードは新しく設立されたバラナゴル僧院で厳しいタパスヤ(苦行)に没頭した。(注:当時19歳)

He soon became to be known as ‘Kali Tapasvi’.
彼はまもなく「カリ・タパスヴィ」として知られるようになった。

During this time he composed beautiful verses on Shri Ramakrishna and the holy mother Sri Sarada Devi,
この期間中、彼はシュリ・ラーマクリシュナと聖母シュリ・サラダ・デーヴィについて美しい詩を詠んだ。

to which the latter blessed him saying, ‘May the Goddess of Learning ever dwell in your tongue’.
これに対し、サラダ・デーヴィは「学問の女神が常にあなたの舌に宿りますように」と彼を祝福した。

In his afterlife this blessing was fulfilled to the letters.
その後の人生において、この祝福は文字通り実現することとなった。

In the very same year at the Baranagore monastery, he formally became a Sannyasi monk along with Narendra Nath Dutta and some of his other gurubhais.
その同じ年、バラナゴル僧院で、彼はナレンドラ・ナート・ドゥッタや他の数人のグルバイたちと共に、正式にサニャーシ(出家僧)となった。

While Narendranath then selected his name as ‘Vividishananda’, Kaliprasad was given the name ‘Abhedananda’.
ナレンドラナートが「ヴィヴィディシャーナンダ」(※3)という名を選んだのに対し、カリ・プラサードには「アベダーナンダ」(※4)という名が与えられた。

【 脚 注 】
※3 ヴィヴィディシャーナンダ → ヴィヴェーカーナンダへの改名の背景
ナレンドラナート(後のスワミ・ヴィヴェーカーナンダ)は、当初「ヴィヴィディシャーナンダ(真理を渇望する喜び)」の名を用いていた。いつ、どこで「ヴィヴェーカーナンダ」という名前を採用したかについては、様々な意見がある。ここでは、興味深いエピソードの一つを挙げておく。

1893年、シカゴ万国宗教会議へ向かう直前、彼はラージャスターンのケートリー(Khetri)王国の国王アジト・シング(Raja Ajit Singh)と出会い、国王は彼の精神性に深く心酔し、こう提案をした。
「あなたはすでに真理を悟っている。その名は謙虚すぎる。
あなたには鋭い識別知(ヴィヴェーカ)が備わっている。
これからは『ヴィヴェーカーナンダ』とのが最もふさわしい。」
こうして、世界的に知られる名「スワミ・ヴィヴェーカーナンダ」が誕生した。

※4 アベダーナンダ(Abhedananda)の意味
「アベダーナンダ」とは、サンスクリット語で、「区別がないこと(不二)に無上の喜びを覚える者」 という意味。
この名は、彼が生涯を捧げたアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論哲学)の核心そのものを表している。

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