第19話 ~ トビとカラス ~

 
19.離欲 ヴァイラーギャ perfect-letting-go 
 くちばしに魚をくわえた一羽のトビ(鳶)を、カラス(烏)やほかのトビの群れが追いかけ、わめきながらつついて、その魚を奪おうとしていた。
トビがどちらの方向へ行っても、群れは鳴き、騒ぎながらあとを追いかけた。

ついにこの煩わしさに疲れたトビは、魚を放した。
するとたちまち別のトビがそれをとらえ、カラスやトビの群れは、その新しい魚の持ち主にいっせいに襲いかかった。
最初のトビはもう邪魔されることなく、木の枝に静かにとまっていた。

アヴァドゥータはその静かな姿を見て敬礼し、こう言った。

「おお、トビよ、あなたは私の先生である。 
なぜなら、人は世俗の欲望という重荷を捨てないかぎり、
けっして平穏な安らぎを得ることはできない、ということを、
おまえは私に教えてくれたからだ。」


昨日までの話では、猟師、釣り人、そして魚を狙うサギが登場しました。
心を一点に集中し(ダーラナ)、集中が静かに持続し、自然な静慮(ディヤーナ)へと深まる過程を示していました。
では、今日のトビの話は、どう違うのでしょうか。

この譬えが示しているのは、魚を放すということ、心を乱す原因の方ですね。
トビを苦しめていた本当の原因は、トビがくわえていた魚にありました。
魚を手放した瞬間、争いはトビから離れ、トビはようやく静けさを得たのです。
ここで魚が象徴しているのは、欲望、執着、手放せずに抱え込んでいる何かでしょう。
人はしばしば、自分を悩ませている原因を外の世界に求めます。
あの人が悪い、この出来事が悪い、環境が悪い、と考えてしまいます。
けれどもこの話は、苦しみの根は外にあるというより、むしろ自分が執着して離さないものの中にあるのだと示しているようです。
いくら集中しようとしても、心の中に「魚」が残っているかぎり、烏の群れのような思い煩いがつきまといます。
集中や静慮は心をまとめますが、離欲(ヴァイラーギャ)はその心を軽くします。

ここでもまた、アヴァドゥータはトビに敬礼します。
それは、前回の話と同様に、トビの姿を通して現れた真理に礼をしたのでしょう。
トビは、魚を放したその瞬間に、離欲の智慧を体現しました。
アヴァドゥータはその姿の中に、修行者にとって欠かすことのできない真理を見たのです。
猟師には集中の始まりを見、釣り人には集中の持続を見、サギには静慮の深まりを見た。
そしてトビには、そうした修行を内側から支える離欲の大切さを見た。

このように並べてみると、一連の寓話は、心の訓練とその浄化とを、少しずつ別の角度から語っているように見えてきます。


【 用語説明 】ヴァイラーギャ(離欲・無執着)
ヨーガの聖典『ヨーガ・スートラ』では、「結果や欲望への執着を手放した心の状態」を意味する。単なる禁欲や諦めではなく、物欲、名誉欲、固定観念などから心を解放し、物事をあるがままに受け入れる知恵をいう。絶え間ない努力を意味する「アビヤーサ(修習)」と対になる車の両輪として、現代社会において周りに振り回されず、内なる平穏を保つための重要な心の姿勢とされています。

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