第11回 過酷な遍歴遊行の旅

― 公式記録から読み解く「アベダーナンダの生涯」から

4)托鉢修行の旅へ
Thereafter Swami Abhedananda took the life of a ‘parivrajak’ (wandering monk).
その後、スワミ・アベダーナンダは「パリヴラージャカ」(遍歴遊行僧 ※1)としての生活を送った。

【 脚 注 】
※1 パリヴラージャカ(遍歴遊行僧)
定住せず、一切の財産や身分を捨てて各地を遍歴するヒンドゥー教出家者(サンニヤーシン)。「遍歴する求道者」を意味し、古くからインドの聖者たちが歩んだ最も正統で過酷な修行形態であった。

He traveled for ten years barefooted from place to place from the Himalayas to Rameswaram, depending entirely on alms, cooked or uncooked.
彼は10年間にわたり、ヒマラヤからラーメシュワラムに至るまで、裸足で各地を巡り歩き、調理済みか生かに関わらず、もっぱら托鉢に頼って生活した。

In course of his journey he never touched money.
旅の途中、彼は一度も金銭に手を触れることはなかった。

He had only a loin cloth on his waist as garment and always depended entirely on whatever chance would bring to him.
身に着けていたのは腰に巻いた腰布だけであり、常に偶然にもたらされるものに完全に身を委ねていた。

He used to walk 20 to 25 miles each day.
彼は毎日20~25マイル(約32~40km)を歩いて移動していた。

He first reached Ghazipur where he met Paohari Baba.
最初にガジプールに到着し、そこでパオハリ・ババ(※2)と出会った。

【 脚 注 】
※2 パオハリ・ババ(1798?〜1898)
19世紀インドに実在した伝説的なヨーガの聖者。パーヴァリー・ババ(Pavhari Baba)ともいう。名前は「空気を食べる者」を意味し、長年の厳しい修行の末に、ほとんど食事を摂らず空気とわずかな牛乳だけで生きたことからこう呼ばれる。聖地リシケシでダンラージ・ギリからヴェーダーンタを学んだ後、ガジプールの地下洞窟に籠もり、高度な瞑想とヨーガ(ラージャ・ヨーガ、ハタ・ヨーガ)に生涯を捧げた。アベダーナンダやヴィヴェーカーナンダにも多大な霊的影響を与えたことで知られる。

He then went to Benaras.
その後、ベナレスへ向かった。

There he met Trailanga Swami and Bhaskarananda.
そこでトライランガ・スワミ(※3)とバ-シュカラーナンダ(※4)に出会った。

【 脚 注 】
※3 トライランガ・スワミ
バラナシ(古名はカシー)で数々の奇蹟を起こした伝説的なヨーガ行者。生涯の多くを沈黙の行に捧げ、「生きるシヴァ神」として民衆や師に崇められた。
「物理法則を超越した数々の公的な奇跡」が、イギリス植民地政府の警察記録や多くの目撃者によって裏付けられるなど、知名度が圧倒的で、パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」にも取り上げられている(p290~295)

※4 バ-シュカラーナンダ
19世紀後半のバラナシを代表する碩学で裸形の聖者。当時の最高峰の知性と学識を備えた正統派のヴェーダーンタ哲学者であり、遊行中のアベダーナンダに深い影響を与えた。

He walked upto the source of the Ganges and Jamuna.
彼はガンジス川とジャムナ川の源流まで歩いて行った。

There he stayed for three months in the caves of the Himalayas spending most of his time in the contemplation of the Absolute.
そこで彼はヒマラヤの洞窟に3か月間滞在し、そのほとんどの時間を「絶対者」の瞑想に費やした。

He also stayed for some time at Hrishikesh where he studied Vedanta from the profound scholar Dhanaraj Giri, a renowned monk of Kailash Math.
また、リシケシ(※5)にもしばらく滞在し、カイラシュ僧院の著名な僧侶であり、博学な学者であるダンラージ・ギリ(※6)からヴェーダーンタを学んだ。

【 脚 注 】
※5 Hrishikesh = リシケシ
インド北部ガンジス川沿いのヒンドゥー教屈指の聖地。地名は「感官の主(ヴィシュヌ神)」を意味する。古来より多くの聖者や苦行者が集まり、瞑想やヨーガの修行を行う「ヨーガの聖地」「聖者の故郷」として知られる。サンスクリット語の本来の綴りが Hrishikesh(ヒンドゥー教の神ヴィシュヌの別名)であるため、古い文献や英語の文章ではこの表記がよく使われる。

※6 Dhanaraj Giri=ダンラージ・ギリ
ヒラマヤの麓リシケシにある名門「カイラシュ・アシュラム(Kailash Ashram / カイラシュ・マト)」の創設者。カイラシュ・アシュラムは施設の名称であるが、組織的で高度な経典学習の拠点という場合には、敬意を込めて「カイラシュ・マト(僧院)」とも呼ばれる。
当時のインド伝統宗教界における最高峰の碩学であり名高い出家僧(サンニヤーシン)。
パオハリ・ババにヴェーダーンタ(ウパニシャッド哲学)を伝授した師でもある。また、若き日のアベダーナンダの驚異的な才能を見抜き、その智慧を称賛して、正統ヴェーダーンタの最高級の評価を与えたことでも知られる。
なお、Dhanaraj の中央の「a」は、ヒンディー語等の随伴母音脱落の規則により発音されず、日本語では現地音に近い「ダンラージ」と表記される。

Giriji proclaimed the wisdom of Swami Abhedananda as ‘aloukiki prajna’ (heavenly wisdom).
ギリジ(ダンラージ・ギリの尊称)は、スワミ・アベダーナンダの知恵を「アロウキキ・プラジュニャ」(超世俗的な、天上の知恵)と称賛した。

In 1896 came the call from Swami Vivekananda to assist him in his work of preaching Vedanta in England.
1896年、スワミ・ヴィヴェーカーナンダから、英国でのヴェーダーンタの伝道活動を支えてほしいという要請があった。

He sailed for London in August 1896.
彼は1896年8月、ロンドンに向けて出航した(当時29歳)。


アベダーナンダの苦行の旅は、裸足でインド全土(北はヒマラヤから、本サイト第2部6話の舞台となった南のラーメシュワラムに至るまで)を巡り、その10年間に及ぶ過酷な遍歴遊行(パリヴラージャカ)の旅は、パオハリ・ババやダンラージ・ギリといった偉大な聖者たちから正統ヴェーダーンタの叡智を血肉化させ、彼を名実ともに「最高峰の出家僧」へと昇華させました。そして1896年、兄弟弟子スワミ・ヴィヴェーカーナンダからの1通の要請により、彼の舞台はインドの大地から、世界の中心である欧米の大舞台へと移ることになります。
次の第四部では、彼が25年間にわたり西洋社会に精神変革をもたらした伝説的な伝道布教の旅を追いかける予定です。

次回からは、その壮大な航海へ漕ぎ出す前に、まずはヒマラヤの洞窟と厳しい修行の中で培われた、現代の私たちをも揺り動かす「アベダーナンダの教え」の核心に触れてみることにしたいと思います。

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